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ナツノハナ

2015.09.20 19:37|FF4 中編③






ナツノハナ






こんなにも見事な夏の花を見たのは、生まれて初めてだった。
目を丸くして呼吸も忘れて見とれるわたしにエッジは得意そうに笑った。
「な、すっげー綺麗だろ」
こくこくと頷くわたしは、夜空から視線が外せない。
ああほらまた、今度は黄色の花が咲いた。力強くも美しく、そして儚い花たちが、夜空を焦がしてゆく。
「これ、お前にいっぺん見せたかったんだよなー」
「うん、ありがとう……!こんなにきれいだなんて、思ってもみなかった!」
興奮気味に語るわたしに、エッジは「どういたしまして」と少しはにかんで答えた。これはいつも澄ました顔ばかりしているこの人の貴重な表情。わたしがエブラーナのことを褒めると、いつもエッジはこんな顔をするんだ。それを見ると、なんだかわたしまで嬉しくなってしまうから不思議だった。
「ねえ、エブラーナでは夏になるといつもこうやって花火大会をやるの?」
「んー、そうだな。毎年国ん中で大体3,4つでかい規模の花火大会をやってたな。まあ今年はさすがに城下町の花火大会だけに絞ったけど」
なにしろまだ復興1年目だからなあ、と王子様は後ろ手をついて団扇で仰ぎながら苦笑する。けれどそこには、やっぱり充実感のようなものがあふれていた。ほとんど廃墟同然だったあのエブラーナを、たった一年間で花火大会を催すことができる状態まで引っ張り上げたのだから当然だ。それはいったいどれほどの苦難に満ちた道のりだっただろうか。
……エッジは、ほんとにほんとにがんばったんだね。
いまは無邪気に花火を見上げるその横顔が胸に迫って、なんだか涙が滲んでしまいそうだった。
どぉん、と城をも揺るがすような轟音が幾重にも響き渡る。夏真っ盛りだというのに、このエブラーナ城の屋上は夜風が吹いてとても心地よかった。
「来年はさあ」
夜風と同じくらい爽やかな口調で、エッジが言う。そして団扇を持ったまま城の一角を示して見せると、
「ほら、あそこに塔を再建する予定なんだよ。そしたらもっと近くて高い場所で見られるんだぜ」
「へえー、それは迫力があるだろうね!」
「おう、そりゃもう特等席間違いなしだ」
へへへ、と得意そうに笑う仕草がまるで少年のようで可愛らしかったけれど、それをエッジ本人に伝えたら口を尖らせるだけに決まっているので黙っておいた。
わたしも借り物の団扇で風を送りながら花火を見上げ、そうかあ……と心の中だけで呟く。
来年――か。
咲き乱れる花火からそっと視線を移し、先ほどエッジが示した場所を見つめる。
再建した真新しいその塔のてっぺんで、エッジは来年、いったい誰と並んで花火を見上げているのかな……。
そう考えるだけで、今はこんなにも楽しいひと時を過ごしている最中だというのに、胸が苦しくなるから不思議だった。
そもそもそんなことを気にする自分自身にも戸惑っていると、不意に「お前ってさ」とエッジが水を向けてきた。
「この時期って、いろいろと忙しいわけ?今年は無理矢理俺が呼び寄せちまったんだけど」
「え、わたし?んーと……まあ、魔法学校自体は夏休みに入ってるから、時間に融通が利く時期だと言えばそうなんだけど」
「……ふーん。なるほどね」
言葉を切ったのち一拍置いて、どおん、と弾ける花火の轟音。
……それが、どうかしたのかな。
何かを考える様子の横顔を見守っていると、エッジが口を開いた。
「――そんなら、来年も来れるよな?」
「……え?」
わたしは思いがけない言葉に目を瞬くばかり。するとエッジが若干口を尖らせた顔でこちらを向いた。
「だからさあ、来年も来いよって言ってんの。いいよな?お前、夏休みなんだろ?」
「い――いいけど」
でもわたしなんかがいるとエッジが色々と困るんじゃ……。
そんな思いが顔ににじみ出てしまったのだろうか、エッジはますます拗ねたような顔つきになる。
「いいじゃねーか、花火気に入ったんだろ?大体さあ、特等席だろうがなんだろうが、こんなもん一人で見てもつまんねえだけなんだよ」
それになんだかいつもより言葉づかいも乱暴だ。
それがひとを誘う態度なのかなあと考えるとなんだか可笑しくて思わず笑ってしまったわたしに、エッジは不機嫌そうな目を向ける。
「なーに笑ってんだよ」
「んー、別に何でもないよ?」
もう、これじゃ一体どっちがお子様なんだか。
――仕方ないなあ。
わたしは顔を上げると、にっこり笑って頷いた。
「うん、いいよ。来年も花火、見に来させてね」
するとようやくエッジも白い歯を見せてくれた。
「おーし、約束したからな。絶対破んなよ」
「エッジこそ」
「俺は破んねえよ」
飄々と答えるその顔に、ほんとかなあと思ったけれど言わずにおいた。もしも可愛い恋人ができたりしたら、エッジはこの約束を一体どうするつもりなの?――なんて、わたしらしくなさすぎて聞かれるはずがないじゃない。お子様は黙ってなと言われるのが関の山だと分かっているし。
するとそこで不意にエッジの手が伸びてきた。驚いて首をすくめたわたしの髪をくしゃくしゃっとかき回し、いたずらっぽい顔で覗き込む。思いがけず間近になったアメジストの双眸で、ちらと花火の光がきらめいた。
「破ったりしねえよ。――リディアと見る花火が世界で一番だって、知ってるからな」
そして、にっこりと笑いかける。
夏の花々を背にしたその笑顔は本当にきれいで……そうまるで、時間が止まったみたいだった。ちっぽけなこの心臓を、いきなりわしづかみにされたようだった。
頬がみるみるうちに熱くなっていくのが自分でも分かったから、わたしは慌てて面を伏せて「うん」と頷いた。真っ赤になってしまった頬と駆け足の鼓動を気づかれないようにするだけで精いっぱいだった。
「――なら、よし」
優しい声でエッジはそう言うと、わたしの頭をぽんとひとつ叩き、夜空の花火に目を戻したようだった。
わたしはそろそろと顔を上げる。そして息を詰めて、その横顔を見つめていた。まるで不思議な魔法にかかってしまったかのように、今はただただエッジから、目が離せなかった。
「いやーほんと見事だよなあ」
団扇で仰ぎながらわたしを振り向くと白い歯を見せる。
「来年も、一緒に見ようぜ」
想像できないほどの重荷を抱えていることを悟らせない、あっけらかんと無防備な笑顔。
だれにも渡したくないと思ってしまった。……だれにも見せてほしくないと願ってしまった。
あの瞬間たしかにわたしの胸は、きゅぅと甘くせつない音を鳴らしたに違いないけれど。
――けれど結局あの夏の花火の音にまぎれて、誰の耳に届くこともなく、終わってしまった。









そして今年も夏がやってきた。
とは言ってもここミストの夏は実にささやかなもので、あの国みたくうだるような暑さとは全く無縁だ。からりとした暑さと気持ちの良い夏風が村中を吹き抜け、そしてまたすぐに秋がやってくる。
そんな、暑さの盛りを過ぎようかというころだった。
実に久々にわたしの手元へ届けられた外国からの手紙は、――ダムシアン王宮からのものだった。
「ギルバートだあ……!」
急いで封を開けると上質な紙で作られた便箋を取り出す。親愛なるリディアへ、という書き出しの綺麗な文字を見て、胸がじぃんと熱を帯びた。
たしかもうかれこれ2年ほど顔を合わせていないけれど、あの頃と何一つ違わない優しい口調で、ギルバートは話しかけてくる。今年もダムシアンは暑い日が続いているけれどミストは大丈夫だろうか、とか、リディアが魔法学校の先生として頑張っていることを時折耳にしては嬉しく思っているよ、とか。
微笑みながら手紙を読み進め内容が本題に差し掛かったとき、わたしは「わあ」と小さく声をあげていた。
「ダムシアンの夏祭りかあ……!」
そう、ギルバートは、ダムシアンで開かれる夏祭りに招待してくれたのだった。それもわたし一人ではなく、魔法学校の生徒たち全員を。
きっと未だ復興途中にあるこの村のことを気にしてくれていたのだろう。色々と苦労を強いられているに違いない子供たちのちょっとした気晴らしになれたらいいんだけれど、とギルバートは控えめに書き添えてくれていた。
わたし自身もダムシアンの夏祭りを訪れたことはないけれど、随分と華やかなお祭りだということは噂に聞いている。いつだって元気いっぱいだけれど小さな村の中しかしらない子供たちにとって、外の世界を知るとても良いチャンスになるに違いない。
けれど問題は交通手段だ。ミストとダムシアン、距離が遠いことはもちろんなのだけれど、さらにその間には峻険な山々と広大な砂漠が広がっている。大人だけならまだしも、子供連れでそこを越えるのはまず無理だ。
けれどギルバートはその点も考慮してくれていた。飛空艇でみんなで空の旅をしよう、とこちらもまた子どもたちが聞いたら目を輝かせること間違いなしの素敵な提案をしてくれている。もっぱらホバークラフトなどの小型飛空艇を利用していたダムシアンも、どうやら大型の飛空艇を導入したようだ。
「飛空艇……か」
そうつぶやくと、わたしは何となしに窓が切り取る青い空を見やった。……あの乗り物にも、もう随分乗ってないな。目にするのはバロンの資材輸送船くらいなもので、その機会もぐっと減ってしまった。
そっと目を閉じれば、今もなお、きれいな切れ長のアメジストの双眸が瞼の裏にちらついて離れない。忘れることなどできるはずがない、想いを告げる前に終わってしまったわたしの初恋。エッジは幸せにしているかなと、ちょっと思った。
……一年前の夏にふたり交わした約束は、結局守ることなどできそうもない。
あれは寒い寒い冬の底だっただろうか、エブラーナの王子と貴族の令嬢との間でようやく縁談がまとまりそうだと言う話を耳にしたのは。エブラーナによく出入りしている信頼のおけるバロンの商人から聞いたがそれは本当かと、いつになく怖い顔をした長老から尋ねられて初めて、わたしはその事実を知ったのだった。

――もともとその縁談は、以前から持ち上がっていたものらしい。
――しかし殿下が乗り気ではなく随分長い間凍結となっていたようだが、いよいよ資金繰りが危なくなってきた王宮のため、財力のあるその貴族の娘を妃に迎えると決断されたのだとか……。

渋面でそう語る長老の前では、どうにか気丈に振る舞うことができた。別にわたしはエッジの恋人でもなんでもないのだから、というようなことを言っていた記憶がある。けれど一人になるとダメだった。あの夏に恋をした無邪気そうなエッジの笑顔が目に浮かんで涙が止まらない夜を、いくつ明かしたことだろう。
やがて数か月後、その婚約が無事相成ったということだけ、耳にした。
そっと目を開けると、目に沁みるような青い空を鳥が一羽、ゆったりと横切って行くのが見えた。
あれ以来、わたしからは一切連絡をとっていない。向こうもそれを察したのか何の音沙汰もなくなってしまった。わたしたちの関係は切ろうと思えばこんなにもあっけないものだったのかと、愕然としたことを覚えている。
あれから半年が経ち、この胸の痛みもだいぶ和らいでいた。けれどやっぱりまだこうして今のように何かの拍子で思い出してしまうわたしだ。我ながら随分と未練がましいことだなあと、便箋に目を落とし小さく笑った。エブラーナ王子の婚儀の日取りが正式に決まったと、そんな噂話を耳にする頃には、心から祝福できるようになっているといいなと思った。
わたしは便箋を折りたたんで封筒にしまうと、それを手にテーブルを立つ。
「ダムシアンへの社会見学か……。早速、長老様に聞いてみなくちゃ」
もちろん、諸手を挙げて賛成してくれるに違いない。








「はーい、全員しゅうごーーーう!!いーいみんな、もうすぐここに飛空艇が来ます!飛空艇の中は色んな機械がいっぱいあって、そこでいろんな人がお仕事してくれています!なので勝手にあれこれ触ったり、どこかに行っちゃったりすると、とってもとっても危ないの!ちゃあんと先生たちとのお約束を守ること!できるー!?」
広い草原の真ん中でわたしが口に手を当てて半ば叫ぶようにして話すと、前列にいた低学年の子供たちが「はあーいっ」と元気よくお返事をしてくれた。中学年はこくこくとうなずき、高学年になると中にはそっぽ向いてしまっている子もいたりする。けれどまあ基本的に皆村育ちの純粋な子供たちばかりだ、きっとお行儀よくしてくれるに違いない。
いよいよ今日は皆が待ちに待った一大イベント、ダムシアン王国夏祭り社会見学の日だ。唯一心配の種だった天気にも恵まれ、こうして日陰のない草原で飛空艇を待っていると、ミストと言えどもさすがに汗が浮かんでくる。
飛空艇の到着予定時刻まであと5分。汗をぬぐったわたしの横で、先輩教師のソアラが口を開いた。
「はい、あとは僕からのお話ー。もうみんな聞いているだろうけれど、ダムシアンまではおおよそ3時間くらいで到着する予定です。で、到着したら、まずはお城の方たちにご挨拶してから城下町の夏祭り見学に行きまーす。そこで気を付けることは何だった?はい、コマ!」
「な、オ、オレかよ!?」
そっぽを向いていた張本人の少年・コマがいきなりの指名に目を白黒させ、その周りの高学年の子供たちの間からはくすくすと笑い声が漏れる。そうそう君だよとソアラがうなずくと、ちぇっと唇をとがらせながらも答えてくれた。
「ダムシアンはあー、オレらのミストみたいにしょぼい街じゃないんでー、絶対迷子にならねーように気を付けること!特にチビどもは!!……です」
「そうそう、何だ、ちゃんと聞いているんじゃない」
満足げに腕組みするソアラと仏頂面のコマ少年の対比が面白くて、わたしは思わず笑ってしまう。
「まあでも実際のダムシアンは、いま君たちが想像しているよりもはるかに都会で人がわんさかいる街です。それにミストよりもうんと暑いからね!先生たちも気を付けるけれど、君たちも自主的に水分摂取するようにね」
そうソアラからの話が終わったとき、一人の子供が、「あ、あれ」と空の彼方を指さした。それにつられてほかの子供たちもなんだなんだと色めき立つ。飛空艇かしらとわたしも後ろの空を振り返ると、北東の方角の青空に、ぽつりとごま粒のような影が浮かんでいた。ダムシアンの飛空艇だ。
「おお、さすがは商業国家ダムシアン。時間ぴったりだな」
わたしの隣に立っていた一番の年長教師であるレオンが感心したようにうなずいた。
早速めいめいのリュックを背負い騒ぎ始めた子供たちを宥めているうちにも、どんどんと飛空艇は近づいてくる。次第に大きくなるプロペラ音に空を見上げると、飛空艇がゆっくりとわたしたちの上を旋回してから着陸を開始するところだった。
飛空艇を台風の目として、草原に旋風が巻き起こる。波紋が幾重にも広がるように同心円状に大きく夏草が揺れた。ただ子供たちにとってはそれすらも楽しいようで、元気にきゃあきゃあ騒いでいた。
わたしはと言うとプロペラが巻き起こす風にいいように髪を乱されながら、じっと目をこらしてその様子を見つめていた。
……見たことが、ある。
無意識のうちに小さく喉を鳴らしていた。
ダムシアンからやってきた飛空艇はエブラーナの高速艇と全く同じ型だった。船体の大きさも色もプロペラの数も、何から何まで全く一緒だった。ただ違う点と言えば、船尾にあの桜の国旗がはためいていないというところだけ。
このままプロペラが止まれば、今にもあのひとが軽やかに飛び降りてきそうに見えた。
「心臓に悪いよ、ギルバート……」
思わず漏れた小さな呟きは、あっという間に暴風がかき消してくれた。











飛空艇は予想以上のスピードで、わたしたちを2時間でダムシアン上空まで連れて行ってくれた。
しかしたった2時間でこんなにも気候が変わってしまうなんて。
もちろん予想はしていたけれど、――それにしても暑い。
なにはなくともとにかく暑い。
「ねえ先生、ここのお日様、怒ってるの?」と怯えながらわたしのワンピースの裾を引っ張った子の表現は非常に的確だと言わざるをえない。
けれどこの城下町の賑わいと言ったらどうだろう。暑さに参ってしまっているのは、この国の中ではわたしたちくらいのもののようにえた。
活気あふれる大通りに面してずらりと並んだ露天商の店先を、鮮やかな布や普段ミストでは滅多にお目にかかることができない魚や果物が彩っている。さきほど通りがかった広場では、夏祭りということで水鉄砲合戦のようなイベントが繰り広げられていた。間もなく宮廷楽団のパレードも予定されているらしい。
先刻ダムシアンに降り立ったわたしたちを出迎えてくれたのは、ハルというギルバート付の秘書さんだった。国王陛下の第一秘書という肩書にふさわしくとても冷静で知的な雰囲気と、メガネの奥のチャーミングな瞳が印象的な女性だ。
彼女はわたしたちをまず王宮の一室に案内してくれ、冷えた飲み物をなど振る舞いながら、ギルバートが会談中のため出迎えに来られないことを丁寧に詫びてくれた。けれどきっと夜の部が開始するころには顔を出してくれるはずだと言う。やはりギルバートも分刻みで組まれたせわしないスケジュールをこなしているらしい。大戦のころのギルバートにはどこか弱々しいイメージがあったけれど、きっと彼もまた、この2年で大きく成長したのだろう。ハルさんの話をあれこれ伺いながら、たくましくなったギルバートに早く会いたいなと思った。
ハルさんは暑さに不慣れなわたしたちが心配だったようで、「暑いので、夜の部が始まるまでは王宮内の見学に変更なさいますか?」と気遣ってくれたけれど、子供たちが一斉に「やだあー」「お店がみたーい」と口を尖らせるものだからわたしたちは冷や汗をかき、ハルさんはくすくすと可愛らしい笑顔を見せてくれた。こんなに美しく有能な秘書さんがいるのなら、きっとギルバートの仕事もはかどるに違いないだろう。
さて、冷や汗はかいたけれど、子供たちの言う通り城下町の見学に繰り出して正解だった。こんな賑わい、ミストにいたら一生見ることが叶わないだろうから。街をウロウロする砂漠の国特有の動物たちにも子供たちは目を輝かせていた。
やがてわたしたちはそれぞれ3班に分かれて街の中を散策し、買い物や食事などを済ませた後、無事に18時前に王宮前に集合した。幸い誰一人も迷子になることはなかった。たった数時間の散策だったけれど、誰もかれもすでにしっかり日焼けをして火照った顔で現れたから、みんなで笑いあった。
さあこれから夏祭りも夜の部に突入だ。王宮の入り口で戻ったことを告げ、会場へと城内を案内してもらう。その途中でレオンが尋ねた。
「しかし夜の部とは一体何が催されるんだろうなあ」
「ああ、確かに。具体的には聞いていませんでしたね。なんだろうな」
そう後ろで交わされた会話を聞いていたらしい、わたしたちを先導する案内役の方が振り返って答えた。
「おや、お知らせしておりませんでしたか。それは失礼いたしました。夜の部は、花火でございますよ」
その言葉に最後尾を歩いていたわたしの足が、つと止まった。
――花火。
どおん、と轟音がひとつ、わたしのなかだけで響いた。
花火と聞いてはしゃぐ子供たちの声が、城内の賑わいが、遠ざかってゆく。その代わりにあの夜わたしの髪を揺らしたエブラーナの風が、やさしいその手で頬をひやりと撫でていった気がした。
「まあ、そうは言っても30分程度でございますがね」
「いえいえ、我々が花火を見る機会なんて滅多にありませんから、本当にありがたいです」
「そうおっしゃって頂けると幸いです……」
足を止めて、案内役の方とソアラが笑いあうのをただぼぅっと眺めているわたしに気づいたらしい、
「あれえ、リディアせんせーい、どうしたの?」
遠くから中学年の生徒に名を呼ばれて、ようやく現実を取り戻した。気づけば随分と子供たちから離れてしまっている。ああ、いけない。今のわたしは先生なんだから、しっかりしなくちゃいけないのに。過ぎ去ってしまったあの恋のことより、今この現実を大切にしなければいけないのに――。
そっと俯きひとつ唇をかんでから、どうにか笑顔を作って顔を上げる。「ごめんごめん」と急いで追いついたわたしに、
「先生、花火って聞いてびっくりしちゃったの?」
先ほどの少女が目をくりくりさせながら尋ねてきた。
「でも先生って、世界中を旅したことがあるんでしょ?花火だって何回も見たことがあるんじゃないの?」
「うーん、確かにそうだけど……でものんびり旅行していたわけじゃないからねえ。花火を見たのは、先生も去年が初めてなんだよ」
ちくりと痛む胸をどうにか笑顔の裏に隠しながら答えると、「そうなんだ!」と少女は素直に驚いたようだった。
「先生でも2回目なんだー!花火って、すごいんだね!」
「そうだね。ほんとにすごく綺麗でびっくりするよ」
「うわあ、楽しみだなあ」
両手を合わせてうっとりする少女に自然と目が細くなった。きっとこの子も、去年のわたしのように、息をすることも忘れて夜空の花々に見とれてしまうんだろうな。
やがてわたしたちは「こちらでございます」とテラスへと続くらしい階段に案内された。
「申し訳ありませんが少々細くなっておりますので、足元にはお気をつけて」
その言葉通り若干手狭で急になった階段をわたしたちは2列になって進む。先頭の二人がテラスに出ると、気持ちの良い風が最後尾に居るわたしのところまで流れてきた。きっともう外は日も落ちて宵闇が漂い始めているころだろう。
ダムシアンの夜もきれいだろうなあなどと考えながら、どうしても遅れがちになる小さな子供たちを励ましていると、先に到着してしまった子供たちの喧騒が聞こえてきた。何だかわからないけれど、かなりにぎやかだ。
「あれえ先生、もう花火始まっちゃったのかなあ」
半べそになりながら隣の小さな子が尋ねる。その手を引きながら、「ううん」とわたしは微笑んで首を振った。
「そんなことないよ、大丈夫よ。だって花火の音も聞こえないし――」
すると頭上から、いきなり複数の子供たちの声で「リディアせんせーいっ」と名を呼ばれた。ああ、やれやれ。何だか本当に気ぜわしいなあとため息をつきたくなるのは、わたしが大人になった証拠なのかしら。
「なあにーっ!もうすぐ着くから、待ってて!先生すぐに行けないのーっ!」
声を張り上げると、「なあんだー」「はやくはやくぅ」と出口で手招きする子供たちはやけに楽しそうだ。
「早くおいでよ!先生きっとびっくりするよ!」
「だってねだってね、先生のね、」
「あー、ばか!それ言うなって!」
そしてきゃははと互いに笑いあうと、少年の一団は走って行ってしまった。
「……なに。いったい、何なの」
げんなり呟いた自分は、うん、もうこれは明らかに大人と認定されるべきだ。いつもふわふわしていたわたしに突っ込んでばかりいたエッジの苦労が何となく分かった気がした。
それにしても彼らの思わせぶりなあの会話は何だったのだろうと考えて、ああそうかとすぐに見当がついた。きっとテラスに用意された花火見学会場には、すでにギルバートが到着していたに違いない。そしてあのずば抜けて美しい容姿に子供たちは驚いてしまったのだ。だから「見たこともないくらいかっこいいダムシアンの王様が先生を待っているよ」と伝えたかったのだろう。
「ねえ先生、お兄ちゃんたち、どうしたのかなあ」
訳が分からずに口を尖らせるのは5歳の少年だ。「あのね」とわたしはにっこり笑うと、その小さな頭をくりくりっと撫でた。
「きっとね、屋上にはこの王国の王様が待っていてくれるんだと思うな。だからお兄ちゃん達びっくりしちゃったのよ」
「へえー、王様!王様、見たい!」
「うん、それにすっごーくかっこよくって優しい王様なのよ。だからね、あと少し頑張ろうね」
わたしの言葉に、「うん!」と男の子はうなずくと、がしがしと階段を昇りはじめた。その王様効果がほかの子供たちにも波及すると、それからはあっという間だった。
そうしてたどり着いた階段の出口は、テラスの端につながっていた。季節の花々にぐるりと囲まれたテラスの左手は一面ガラス張りになっていて大広間へと続いているようだっただけど、今はえんじ色のカーテンがぴっちりと閉められている。きっと明日開かれるらしい晩餐会の用意がなされているのだろう。
ふう、と息をつき頭上を見上げると、西にわずかなオレンジ色を残して、もう空はほとんど群青に染まっていた。端っこの方には一番星が輝くその空を、点々と焚かれたかがり火がじりじりと焦がしていた。夜風に乗って、街の喧騒が流れてくる。
テラコッタ模様の美しいテラスには、しゃれた丸テーブルと椅子のセットがいくつも並べられていた。けれどそこに座っている子供は誰もいない。テラスにいる人々の大多数は少々離れた全く別の場所に固まっている。暗がりのせいでよく見えないけれど、そこにほとんどの警備兵が集まっていることから、やっぱりギルバートがいることに間違いはなさそうだった。
あっちに行こうかと子供たちを促し、近づいていく。すると輪の中のひとりがわたしに向かって手を挙げた。体格の良さから見てあれはレオンだろう。わたしも手を振り返そうとしたその時、今までしゃがみこんで子供たちと話していたらしい、中心にいた人物がひょいと立ち上がってこちらを見た。
あの輝くようなブロンドは――ああ、ギルバートだ!
嬉しくなってわたしは背伸びまでして大きく右の手を振る。すると彼を取り囲んでいた輪が割れ、ギルバートがこちらに向かって歩きはじめるのが見えた。
「先生、あのひとが、王様なの?……おともだち?」
わたしの左手を握る子が尋ねる。うん、とわたしは腰を折るとその子の目線になって頷いた。
「そうよ、ギルバートっていうの。ほんとはね、もっとうーんと長い名前なんだけど。ほら見て、すごく笑顔が」
優しそうでしょ、と前を示して笑顔で続けようとした。――つもりだった。
……それなのに。
自分のすべてが、その一瞬で凍りついたのが分かった。
ついさっきまで子供たちに振りまいていた笑顔も、おしゃべりだった声帯も、……そうなにもかもが。
わたしの変化に気づいた子が、「先生、どうしたの?」と不安そうに手をゆする。けれど答えてやることができなかった。ただただ、目を一点に張り付けたまま、わたしは声もなく立ち尽くすことしかできなかった。
――かがり火に染まる、きれいな銀髪。
彼のまとう藤色のマントが、夜風をはらんで大きく揺れた。
前方を行くギルバートに何やら話しかけると、小さく笑い、そしてゆっくりと視線をあげる。宵闇の中で切れ長のアメジストの双眸がきらりと光った。
これは幻なのかと何度目をしばたたいてみたけれど、その姿は消えそうもない。
……ああ、そうだったのね。
両の手にじっとりと汗をかきながら、わたしは先ほどの少年たちの言葉を思い出していた。
だからあの子たちがあんなに騒いでいたのか、と。
あの子たちは知っているから。
いま目の前にいるエブラーナの王子が、かつて何度もわたしを訪ねて来てくれていたことを。
そのたびに彼らは「先生のカレシがまたやって来た」とはやし立てていた。
――けれどどうして今になって、こんなところで……。
立ちすくんだままごくりと小さく喉を鳴らしたわたしに、少しすまなさそうな目をして、ギルバートが微笑みかけた。
「……久しぶり、リディア。ようこそダムシアンへ」
相変わらず包み込むような優しいその声に、なぜだか泣きたくなってしまった。
ギルバートの後ろからあの人の視線を感じる。ひとつ大きく深呼吸をしてから、わたしはようやく口を開いた。
「わたしのほうこそ、……久しぶり。今日はお招きいただき、ありがとうね」
「どういたしまして。それよりリディアや魔法学校の皆さんがお元気そうでよかった。ご招待したのは僕のほうなのに、あいさつが遅くなってしまってごめんよ」
「ううん、いいの。ギルバートも忙しいもんね」
かぶりをふってわたしが微笑むと、ギルバートも安心したように目元をやわらげた。そしてちらと背後に立つエッジを振り返ってから、
「これから始まる花火はね、今年の夏祭りの目玉として、エブラーナに協力をお願いしたんだよ。ダムシアンはあまり花火の技術が発展していないんだ。その点、エブラーナは世界随一だから」
「そう――だったんだ」
意外な種明かしに目が丸くなる。そしてそのまま少しぎくしゃくしながらも、ギルバートの後ろに立つエッジに視線を移してみた。
何しろ連絡を絶ってしまったのはわたしのほうだ。ひょっとして無視されたり、冷たい眼差しをよこされたりしたらどうしよう――そう心のどこかでおびえていたけれど、そんなものは杞憂だとすぐにわかった。彼はそんなわたしの視線に気づくと、軽く肩をすくめてわずかに微笑んでくれたから。
……あ。
たったそれだけで、ほわんと、心のイガイガが溶けてしまったのが分かった。
そして同時に、ちらとでもそんなことを考えてしまった自分自身が猛烈に恥ずかしくなった。エッジがそんなことをする人じゃないということくらい、わたしもよぉく知っているのに。それに過去にわたしが一方的に連絡を絶ったということなんて、現在のエッジにとってはきっと些細なことに違いないはずなのに……。
思わず目を伏せたわたしに、ギルバートが「それにね、リディア」と言葉を続けた。
「さっき君は僕にお招きありがとうと言ってくれたけれど、本当はね、そうじゃないんだよ」
「……どういうこと?」
意味が分からずに首を傾げるとギルバートにしては珍しくいたずらっぽい目をして笑った。
「実は君たちをお招きしてくれたのは、そこにいる、エッジなんだ。せっかくならミストの子供たちも呼んだらどうだろうって提案してくれたのは、彼なんだよ」
――え。
さらなる種明かしに強張った喉から漏れたのは、もう小さな声だけだった。
しかし瞳だけは滑らかに動いて素早くエッジをとらえる。「お兄ちゃんだったんだー!」「ありがとう!」などという子供たちのにぎやかな歓声に、彼はうるせえなと言わんばかりのしかめっ面だ。そんなもの、もちろんみんな照れ隠しだということくらい分かっているけれど。
「エッジが……どうして」
ぽつりとこぼれたその声を聞き留めたのはギルバートだけだった。くすくす笑っている。
「どうしてって、リディアは変なこと聞くんだね。だって僕たちは大切な仲間じゃない。違うかい?」
「そう――だけど」
確かにそうだ、わたしたちはかけがえのない仲間――だった。そう言うしかないのは、わたしがエッジに恋をしたからだ。けれどその頃にはもう彼は他の女性と婚約を交わす準備をしていて――だからわたしはエッジと会うことはもちろん、連絡を取ることすら二度とないだろうと思っていたのに。こんな思いを抱えたままじゃ、もう仲間になんか戻れやしないと思っていたのに。
……そんなわたしなのに、あなたは。
エッジの優しさを思うと息が詰まって、気づけば涙が滲んでいた。
思わず顔を両手で覆ってしまったわたしの背中を、なんとなく事情を知っているらしいギルバートは優しく叩くと、
「ずっとエッジはミストのことを気にかけていたみたいだよ。実際今日君たちを迎えに行ってくれたのも、本当はエッジの船なんだ。恥ずかしながら僕の国には大型の飛空艇がないからね。まあ、リディアは気づいていたかもしれないけれど」
涙をこらえながら、わたしは何度もうなずいた。
そうか、やっぱりあれはエブラーナの船だったのか。1年が経っても、わたしはあの人の船を忘れていなかった。
にぎやかな子供たちに囲まれてようやく見せたエッジの明るい笑顔が胸に迫った。
ごめんねエッジ、と心の中だけで呼びかける。
わたしはまだ、とてもじゃないけれど仲間だなんて思うことはできないよ。
今更叶わないと分かっているけれど……まだこんなにも、苦しくなるくらいに、――あなたのことが。
きゅ、と両手を握りしめたわたしの髪を夜風が揺らして吹き抜けてゆく。すると隣でぱんぱんとギルバートが手を打ち鳴らした。
「はいはい、じゃあそろそろ花火が始まる時間だからね。みんな席に着こうか」
はあーい、と子供たち。王様効果はやっぱり絶大だ。いつもならわたしがわあわあ騒ぎ立てないとようやく動かないというのに、今回はたった一言だけで皆さっさと動き始めるものだから、思わず笑ってしまった。
笑いながら目じりの涙をぬぐっていると、……不意にアメジストの瞳とぶつかった。
「どきり」というよりはむしろ「ぎくり」と固まるわたしに、ふと涼やかな目元が柔らかくなった。
「……なーに笑ってんだよ」
久々にわたしに向けられた声、その笑顔。
まるでめまいがするようだった。
わたしはそっとひとつだけ深呼吸をして、
「別に、なんでもないもん」
いつものようにそう答えて口をとがらせると、藍色の空を背にしてエッジが吹き出した。
「何にも変わってねえなあ」
どこか嬉しそうに聞こえたのは、わたしの気のせいなんだろうか。
そしてエッジはゆっくりわたしのほうへ歩き出す。ハルさんに呼ばれたギルバートは、「それじゃ、また後でね」と一言残すと子供たちのほうへと向かっていった。
テラス席を後ろから見守るようなかたちで、わたしの横にエッジが並び立つ。それはまるで共に旅をしていたあの頃のようだった。
「――元気そうで、良かった」
前方に目をやったまま、ぽつりとエッジが言った。きっとわたしを含めたミストの面々のことだろう。うんと頷いて、わたしはその端正な横顔を見上げる。
「おかげさまで、みんな元気にしてるよ。エッジも元気そうだね」
にこ、と笑うわたしに、しかしエッジは苦笑いだ。
「いや、まあ……そう見えて、俺はあんまし元気でもねえけどな」
「そうなの?」
らしくない答えに思わず眉が寄った。
だって、あのエッジが自分から弱音を吐くなんて。たとえどれほど傷ついていても上手にそれをしまい込んで、いつだって飄々として、まるで弱さとは無縁という顔をしていたのに。それにエッジはいま、婚約中の身なはずなのに。
何かあったの、と続けようとしたときだった。
ぱっとエッジの横顔が照らされた。まずは赤に――そして緑に。
続いて炸裂する轟音と、子供たちの歓声が重なった。
花火が始まったのだ。
砂漠の国の夜空を次々と鮮やかに彩ってゆく花火。エッジへの問いかけも忘れてわたしは目を奪われてしまっていた。
「わあ、やっぱりきれいだね……!」
声を弾ませてエッジを見上げようとして。
――そして、息を呑んだ。
彼もわたしを見ていたからだ。それもわたしが、視線を向けるよりも早く。
絡み合ったふたつの視線は簡単には解けそうもない。
不意に見つめあってしまったわたしたちの前に、次々と花火が打ちあがる。轟音に胸が震える。けれどエッジはわたしのように花火に目を奪われることもない。ただどこか思いつめたような色の眼差しで、こちらを見つめているだけだ。
そしてわたし自身もそんなエッジから目が離せないでいた。鼓動だけが、やけにうるさい。
……そんな目をして、一体どうしたのだろう。
雨に打たれる仔犬のようだった。まるでわたしに、救いを求めるような。
思わず右手を伸ばしかけてハッとなったところを、すばやくエッジに捕まえらえた。手首を掴む大きな手のひらの熱にわたしの体温も一気に上昇する。
「――あっち行こうぜ」
驚いて声も出せないわたしに、花火の音に紛れてしまうほどに小さく、低い声でエッジが囁いた。
そして有無を言わせぬ強い力でぐいと右手が引かれた。そしてそのままエッジは走り出す。目の前で大きく翻ったマントに待ってよと慌てて言ってみたけれど反応はなし、聞く意志なんて全くなさそうだ。周りも完全に花火に目が奪われてしまっていて、エスケープを図るわたしたちの動向に気付いた人は皆無だった。
でも、でもでも、わたしは引率の教師なんだけど――。
けれどどうしてもわたしにはその手をふりほどくことができなかった。手をひかれながら、もつれる足で懸命に前を行く背中を追いかける。そうして足を進めるたび、かつての激戦のさなかに立ち返っていくようだった。
このままさきほど昇って来た階段を下りるのかと思いきや、ふとエッジは立ち止まると、
「ちょいと失礼」
いきなりわたしを小脇に抱え、驚異の跳躍力で昇降口の屋根にひょいと飛び上った。
「きゃあ!!?」
口を突いて出た素っ頓狂な悲鳴も花火がかき消してしまう。なおもわたしを小脇に抱えたままエッジは満足そうに笑った。
「おーし、俺の筋力、まだまだ衰えちゃいねえな。もうちょいいけるだろ」
「え、もうちょいっていけるって……」
首をよじって見上げたエッジの笑顔に感じた嫌な予感は大当たりだった。横を見て軽く身を屈めたと思ったら、決して常人には跳べるはずのない距離にあるテラスのひさしに跳び移り、そこからさらにいくつも屋根を越え、きゃあきゃあ喚くわたしにうるせえなあとこぼしながら、最終的には城の本殿の上層階にある使われていなさそうな小さな部屋のベランダに落ち着いた。
「お……恐ろしかったぁぁ……」
さすがにベランダの手すりにもたれてうなだれるわたしとは対照的に当事者は涼しい顔だ。
「なーにびびってんだよ。俺がミスって落ちるわけないじゃん」
「その自信、いったいどこから来るの!?いいエッジ、この世界には重力というものがあるし、それにそもそもわたしは引率の係で」
「あーはいはい分かってるよ。でも今はいいだろ?テラスにはあの王様がいるんだぜ」
思わず言葉に詰まってしまう。確かにわたしなんかよりはるかにギルバートのほうが子供たちを誘導するのが上手だと思うけれど。
「で――でももし何かあったら!」
「ここらからでもテラスの様子は十分見えるから大丈夫だろ。兵士も隠密もいるしな。それより、――ほら。花火見ようぜ」
約束したろ?と笑うその顔に、ぎゃんぎゃんかみついていたわたしの勢いは一気に削がれてしまった。
だってエッジが、出し抜けにそんなことを言うものだから。
「……約、束?」
それは、もしかして――。
二の句が継げないわたしの脳裏を、1年前の映像がかけめぐる。いったい今まで何度再生したことだろう、たしかにあの時と同じ無防備な笑顔でエッジは言う。
「なんだよ、忘れちまったの?来年も一緒に見ようぜって、去年お前に言っただろ」
まあ確かにちょっと場所は違うけどなあと見せる白い歯。
わたしはというと――まるで夢を見せられているようなだった。それもとびきり甘い、極上の夢を。
世界がこんなにも色鮮やかに見えることなんて、きっともう二度とないと思っていたのに。
「……ばか」
うつむいて、ちっとも可愛くないことしか言えないわたしの頭を、笑いながらエッジがぽんぽんと叩く。懐かしい大きな手。いま口を開けば、押さえきれない愛しさがあふれだしてしまいそうだった。
くちびるを固く結んでどうにかこらえていると、わたしの髪をくしゃりと軽くかき混ぜるエッジの小さなため息が聞こえた。
「それにしても――なんでこの一年、連絡寄越さなかった?」
突然のストレートすぎるその質問は、わたしをぎくりと強張らせた。
……どうして、って。
ためらうわたしの髪から手を離すと、ゆっくりとエッジはベランダに背中を預けた。轟音とともに夜空で色鮮やかな花が開いては散ってゆく。けれどその様よりもずっとずっと、わたしを見つめるアメジストの瞳のほうがきれいだった。
そんなあなたへの思いを断ち切るためだったと、いっそ打ち明けてしまおうか。
……そうしたらあなたは、もう二度と笑ってくれないだろうか。
するとエッジは困ったように小さく笑った。
「そんな泣きそうな顔、すんなよ。まるで俺がいじめてるみたいじゃんか」
そしてくるりと背を向ける。そのままベランダに頬杖をついて、ぽつりと言った。
「……泣きたいのは、俺の方だったのに」
それは花火にかき消されてしまいそうなほど小さな声だったけれど、たしかにこの耳には届いた。
――そう見えて、俺はあんまし元気でもねえけどな。
先ほどわたしに見せた、まるですがるような眼差しがあざやかに蘇る。気づけば右手がエッジの薄手の外套を握りしめていた。
「何が……あったの?」
わたしと、自分の外套を掴むわたしの右手を見比べてから、エッジは自嘲気味に笑いながら小首を傾げた。
「聞いてくれんの?」
うん、と頷く。
「別に楽しい話じゃないぜ」
「それでもいいよ」
「――そうか」
頷くエッジの横に並んで、ベランダの手すりに両手をそろえて置く。彼はそっと目元を和らげると、視線を夜空へと戻し、話し始めた。
「……さっきはああ言ったけどさ、お前が連絡寄越さなくなった原因は分かってんだ。なにしろ身に覚えがありすぎるからな。だからあんな風にお前を責めるんじゃなくて――むしろ」
わたしを見ると、そっと目を伏せる。
「俺が謝らなきゃいけなかったんだ。婚約のこと……ぎりぎりまで黙ってて悪かったって。お前にはもっと早くきちんと俺の口から言っておかなきゃならなかった」
ごめんと頭を下げるエッジに、わたしは「そんなことないよ」と慌てて手を振った。こんなふうにエッジが謝るところなんて見たことがなかったし、まさかそんなことを考えてくれていたとは思わず、ただただ驚くばかりだった。
エッジは頭を上げると、首筋のあたりに手をやりながら軽く口をとがらせて言う。
「でもさ実際、結構ムカついたんだろ。そんな大事なこと何で黙ってったんだって。だから俺に連絡くれなくなったんだろ?」
「えええ!?ち、違うよ」!
とんでもない勘違いに気づけばわたしは手と言わず頭まで振りまくっていた。
「そんなことないってば!わたし、エッジの婚約はバロンの商人さんから聞いたんだけど――そりゃたしかにその時はね、すごくびっくりしたよ。でもそんな、ムカついたなんてことは」
「……なかったの?」
さも意外そうに尋ねるエッジにこくりと頷くと、「マジで?」と切れ長の瞳が丸くなった。
「逆の立場だったら、俺、めっちゃムカつくけど」
「だってエッジは王子様だし……いつかはこんな日が来るんだろうなあって、わたし、分かってたから」
分かってはいたけれど脱水になるんじゃないかというくらいに泣きましたなんてことは言えない。
色んな感情をどうにか押し殺して微笑むと、相変わらずエッジは難しそうな顔をしたままで首をひねった。
「でも、そんなら何で」
「そ、それは――」
ストレートな質問に若干うろたえたけれど、すぐにもう一つの無難な方の理由を答えることができた。
「だって、縁談を進めているエッジのところにわたしの手紙が届いたりしたら、やっぱり具合が悪いかなって思ったからだよ。ほら、一応わたしも女……だし」
そう一生懸命話すわたしの顔を、どこか冷めた目でエッジは眺めている。まるで真意を推し量っているかのように。
どうしてエッジがそんな目をするのかは分からないけれど、わたしも本心を悟られるわけにもいかないから、いつも通りの顔を作って彼を見上げる。やがてエッジは、
「……ふーん」
つまらなさそうにそうつぶやいて、頬杖をついた。
「そんなもん、気ぃ使わなくたってよかったのに。でもまあ、お前にこっちの事情なんて分かんねえか。ごめんな」
「う、うん……。わたしも素直におめでとうっていう手紙出せなくって、ごめんね」
謝ると、頬杖のままエッジはわたしを見て、小さく笑った。
「それこそいらねえよ。そんな手紙もらったら、余計凹むから」
「……そうなの?」
でも、ふつう嬉しいんじゃないのかな。目を丸くして首を傾げるわたしの頭を、優しい目をしたエッジがぽんぽんと叩いた。
「そんなもんなの。むしろ俺にとっては、素直におめでとうって言えなかったっつーことほうが嬉しいかな」
……もっとよく分からない。それに先ほどからエッジが話している内容は婚約者の女性に失礼なことばかりだ。眉を寄せて押し黙ってしまうと、ふたりの間に生まれた沈黙を埋めるように、花火の音が響いた。
こほんと、エッジは小さな咳ばらいをひとつ。
「……うん、まあ、話は大いに脱線しちまったけど、誤解が解けたのはよかった」
本題に戻すかとさらりと言う。
「お前も知ってるかもしれないけど――その縁談は、まあ、ほとんど政略結婚だったわけだ」
エブラーナはもう随分前から財政が苦しくなっていたらしい。復興に出費ばかりがかさみ、一方の歳入のほうはちっとも増えず、もちろん支援などあるはずもなく、日に日に赤字が膨らんでゆく。
「あの頃は毎日会議ばっかやってたな。でもさ、抜本的な改善策なんか出てくるわけねえんだよ。当たり前だけど、あっちを立てればこっちが立たずみたいな案ばっかなんだ。結局地道に支出を抑えてどうにか乗り切るしかねえなとなったところに、ぽこっと湧いてきたわけだ」
――とある新興貴族の令嬢と、王子の縁談。
さすがの俺も度肝を抜かれたと、エッジは笑う。
「あっちは金ならうなるほどあるが格式がない。こっちは間違いなく王国イチ由緒正しいが、悲しいかな金はすっからかんだ。互いのニーズにだけ焦点を絞れば、こんなに都合の良い話ってないだろ?」
けれどこれでは金のために王家の血筋を売るようなものだ。古参の家臣たちは猛烈に反発した。一方エッジは沈黙を貫いたが、やはり内心は面白くなかったと言う。
かくて一旦はこの縁談は立ち消えとなった。しかし財政危機が深刻化するたびに蒸し返され、やがて――。
「……金がなくて困ってんのは、王家も家臣たちも一緒だったってことだ」
腹心の部下だけを残し、それ以外の家臣たちはみな、新興勢力に取り込まれてしまっていた。
「まあそうは言っても、あっち側についた連中を責めるつもりは毛頭ねえよ。王家の格式だとか血筋だとか、そんなもんよりも守るべきずっとずっと大切なものがあることくらい分かってるからな。つまんねえ俺の私的感情もあいつらには関係ないし。……ま、幸いその貴族の娘もまあまあの別嬪だったし」
はは、と力なく笑うエッジの横顔を、わたしは黙って見つめていた。
そうして晴れてエブラーナの王子と貴族の娘の間で婚約が発表された。何も知らぬ国民たちは未来の国王夫妻の姿に大層喜んだが、その様子を眺める古参の家臣たちの顔は押しなべて暗かったらしい。
「婚礼の儀は今年の晩秋の予定――だった」
散りゆく花火を眺めながら、ぽつりとエッジは言った。ううん、聞き間違いなんかじゃない。確かにエッジはこう言った。
「だった、.……って?」
延期にでもなったの?と尋ねるわたしに、エッジは微笑んだ。その背後で一際大きな花火が炸裂する。その姿はどこか凄みを帯びていて――一瞬、背筋をぞくりと冷たいものが駆け下りて行った。
「いや、延期じゃねえよ。……ただ、破談になっただけだ」
「破談……?」
思いがけぬ事実に息を呑む。エッジは簡単に言ったけれど、王家の婚約が破談になるなんてことは極めて異例の事態に違いない。いったい何が起こったのか。すぐさま尋ねようとしたけれど、先ほどのエッジの笑顔を思い出し口をつぐんだ。あの笑顔の裏に隠されているものに、わたしは触れてしまっていいのだろうか――。
ためらっていると、いきなりエッジが手を伸ばし鼻をつまみあげてきた。
「むぎゅっ!?」
「お前、失礼な奴だな!確かにこちとら隠密抱えてっけどよ、人殺しなんかしねえぞ」
思わず、う、と口をつぐんだ。……確かにそのことを危惧していたのだ。王子の婚約が破談になるほど異例の事態。たとえば――婚約者の死、とか。
単純なわたしの妄想なんてお見通しらしい。つまんでいた鼻を離すと、薄気味悪そうな様子で両腕をさすり上げながら言った。
「そんなこと考えるお前の方が隠密よりはるかに恐ろしいな……。なまじ武力もあるだけに」
それからあっさりと種明かしをしてくれた。
腹心の隠密を使い、婚約者の父の汚職を暴いて破談に持ち込んだのだと言う。
けれどそれが言うほど簡単ではないことくらい、わたしにも容易に想像ができた。一見華やかな王宮の陰では恐ろしい情報戦が繰り広げられていたのだろう。その爆心地に立ちながらあんなにも無邪気な笑顔を見せられるエッジが不思議だった。
しかし一度は国のためと婚約を結んだエッジがそれを翻すなんて、ある意味とても「らしくない」行動のように見える。まだ結婚したくなかったから、買収されるようで嫌だったから――そんな理由だけでは決してないはずだ。それを尋ねると、驚いたように片眉を上げてから、詳らかにしてくれた。
「まあ一番の理由は――あの貴族の娘,、かな。表面上は全くそんな様子は見せなかったが、実はあっちも嫌々なんだってことが少し調べたらすぐに分かった。もともと他に恋人がいたらしいんだ」
しかし父親の一声で、まるで生木を裂くようにふたりは別れていた。
それを知ってエッジの心は大きく揺れ動いた。自らの出世欲のためにこうも簡単に他者を、さらには家族を犠牲にして憚らない人間が重要なポストに就任することを許してしまっていいのだろうかと。確かに国庫は潤うかもしれない。しかしそれはあくまで一時的なものにすぎないのではないか――。
悩んだ挙句、破談に持ち込む道を選んだのは、婚約者の協力を得られたからだった。
「あっちから言ってくれたんだ。叩けば埃がわんさか出る父親だから汚職で逮捕すればいい、そうしておいて破格の一時保釈金を要求してくれと」
そうすればお金の問題も解決できるでしょう、自分も少しは自由になることができると、婚約者は笑ったらしい。なかなか大した女だったと苦笑するエッジを、実は少しくらい惜しいことをしたと思っているんじゃないかしらと勘ぐってしまったわたしは、なんてつまらない女なんだろう。
それはともかく、身内からの協力も得て、エッジ陣営はどうにか情報戦を制することに成功した。けれどその戦いは、他国に比べ小さなエブラーナ王宮内部には大きすぎる爪痕を残した。一大勢力だった婚約者の父のほかにも多くの有力者を失い、どうにか検挙を逃れた者たちの間にも深いひずみが生まれてしまった。
さすがのエッジもガタガタすぎる王宮の有様に半ば途方に暮れかけたころ、ギルバートからの依頼があったのだと言う。あの時はもうすぐ夏がやってくるということすら忘れていたと、その花火を眺めながらエッジは呟いた。
「あーそうか花火か、気分転換にもなっていいなあって思ってさ、周りに相談もせずその日のうちにOKしたんだよ。それに――」
一旦そこで言葉を切ると、エッジはふうと息をついた。それに合わせて短い前髪がふわりと揺れる。その様はまるで、珍しく何かを迷っているかのように見えた。
……どうかしたの、かな。
きっとこの話はミストの子供たちを呼び寄せてくれたことにつながるはずだ。そこに一体何をためらうことがあるのだろう?
目をぱちくりと瞬きながらその横顔を見守っていると、やがてエッジは軽くわたしの方に体を向け、口を開いた。
「それにさ、花火って聞いて俺は――ただただ、お前に会いたくなったんだ」
その言葉に、思わず瞬きが止まった。
たじろぐくらいにわたしをまっすぐ見つめるエッジの眼差しに息を呑む。そしてそのエッジもきっと、息を殺している。
気づけば花火の音は聞こえなくなっていた。
そっとエッジが、わたしの左手をとった。あまりに優しいその仕草に心臓が大きく跳ね上がる。伝わる熱に、触れ合った指先からチョコレートのようにとろけてしまいそうだった。
「……お前に会いたくて、でも拒絶されるに違いねえと思ったら、そんなもん言えなくて。だからミストの魔法学校を口実に使ったんだ。そうすれば確実にお前が来るだろうと思った。だからあのガキんちょどもに感謝される理由なんか、これっぽっちもねえんだよ。むしろこっちが詫びなきゃいけねえくらいなのに」
俺って女々しいだろと自嘲気味に笑うその顔はまるで泣いているようにも見えた。
――泣きたいのは、俺の方だったのに。
先ほど呟いたエッジの声が蘇り、ぐっと胸が詰まった。
「ほんとに……大変だったんだね」
そしてそんな日々の果てにわたしを求めてくれたことが嬉しくて、愛しくて、わたしは右手をエッジの頬に伸ばす。驚いたようにエッジは一瞬目を見開いたけれど、そこに手を重ね目を閉じると、何かをこらえるように眉を寄せたまま小さくうなずいた。その形よい眉の間に刻まれたしわまでが愛しかった。
わたしに会いたいと言うエッジの言葉、そこにどれほど恋愛感情が混じっているのかは分からない。けれど異性ではなく仲間としてわたしを必要としてくれただけでも構わない。ううん、それだけで十分だと思った。
「わたし、エッジがそんなにも大変だったっていうこと、全然知らなかった……。ごめんね」
「いや、それは俺のせいだから。お前が謝ることなんてひとつもねえよ」
「そんなことないよ」
微笑んでゆっくりとかぶりを振る。
もう心は、決まっていた。清々しいほどに澄んでいた。
いま言わなければ、伝えなければ、きっと一生後悔すると分かっているから――。
わたしね、と呟いて、エッジの頬に触れていた手をそっと離す。
「ほんとは――もっと別の理由があるんだ。あのときエッジに手紙が送れなくなった、ほんとの理由」
「本当の理由?」
訝しげな表情のエッジに、こくりと頷いた。
さあ、言うんだ。結果はどうあれエッジならきっと、この気持ちを受け止めてくれる。
――がんばれ、わたし。
自分を励まし面を上げて。
そして、好きだったんだ、と打ち明けたわたしは、きっと泣き笑いの顔をしていたに違いない。
「だから手紙を送れなかったの。エッジへの思いを断ち切りたかった。――連絡を絶ってしまえば、忘れられると思ったのに」
……でもダメだったなあ。
くしゃりと笑った拍子に、なぜだか涙が一筋流れて落ちた。
にじんだ視界のなかで、エッジは随分驚いた顔をしている。いつも涼しい顔ばかりしているエッジのこんな表情、今まで見たことがない。そんなに驚かなくてもいいじゃないとちらと思った。
やがて彼は唇をかみしめてひどくやるせない表情になると、一瞬俯いてから、
「――あ」
つないでいた手を強く引いた。
あっけなくバランスを崩して飛び込んだ先はエッジの胸で。
驚くわたしの背中をすぐさま逞しい腕が抱きしめる。
そして、リディア、とため息とともに耳元で名前を呼ばれ、背筋がぞくりと震えた。
「……マジでびびった。お前に、先に言われちまうなんて」
「え……」
顔を上げると、ほぼ真上にエッジの顔があった。
互いの吐息が混じり合う初めての距離感。どきりと心臓が震えた。
もしかして――わずかに期待してしまったわたしに、ふわりとエッジが笑いかける。それは見たこともないくらいに優しい笑顔で、目を奪われずにはいられなかった。
もうとろけてしまいそうだと、ぼうっとなった頭のどこかで思った。
「……忘れられないでいてくれて、良かった」
そして火照っているに違いない頬に、大きな右手が触れた。
「俺もずっとずっと――もう何年も、お前のことが好きだった。お前だけを見ていた」
だから言えなかったんだよと囁いて、目を見開くわたしのくちびるを親指がそっとなぞる。
信じられない言葉と狂おしく甘やかな刺激に、もうどうにかなってしまいそうだった。
「婚約するなんて……どうしてもお前には言いたくなかったんだ」
「……うん」
その気持ちが痛いほどに理解できて、そしてそう思っていてくれたことが嬉しすぎて、ぎゅ、とエッジの服をにぎりしめて胸に顔をうずめた。今ここにあるに違いない彼の心と、わたしの心。ずっとずっと、思いは一緒だったなんて。
……全てがまるで、夢のよう。
体中の水分を振り絞って泣いてばかりいたあの頃は、未来にこんな日が待っているなんて考えもしなかった。
エッジがわたしの髪に頬を寄せる。おずおずと背中に腕を回すと、一層きつく抱きしめられた。大好きなエッジの匂いで胸がいっぱいだ。
「夢みたい」
思わずつぶやくと、エッジが小さく笑って言った。
「俺も」
てっきり、何言ってんだなどと茶化されるかと思ったのに。こんなにも素直な声が聞くことができるのはわたしだけなんだと思うと、嬉しくて笑ってしまう。
「お前を諦めないで良かった。悪あがきして、本当に良かった」
そしてわたしの髪を撫でてから、おもむろにエッジは耳元に口を寄せると、
「……ずっとずっと、こうしたかった」
なにかを秘めた低く甘いささやきにぎくりと体が強張った。これは、もしかしてもしかすると――そんなことをちらとでも考えてしまったからいけない、ちっぽけな心臓はもう爆発寸前だ。
フリーズしてしまったわたしの頬にもう一度エッジの手が触れる。そのままそっと促されて、彼を見上げた。アメジストの切れ長の瞳が妖しいほどに美しくて、思わずわたしは息を呑んだ。
「……リディア」
そうエッジがわたしの名を呼んだとき。
――再び世界が、真昼のように輝いた。
間髪入れずに炸裂する轟音に、わたしだけではなくエッジの目もまん丸になった。
そして次々と目の前に咲き乱れる夜空の花々。
わあ、と言う子供たちの歓声がここまで響いてきた。
……あまりのタイミングの良さに呆気にとられるわたしの横で、エッジは何やらぷるぷる震えている。
「お――終わったんじゃ、なかったんだね……」
そういえば確かに何のアナウンスもなかったような……。
びっくりしたねえ、と声をかけようとしたそのとき、がばりとエッジが顔を上げたものだからわたしは驚いて思わず身を引いた。
「ふっざけんなよ……!てめえコラ、花火!いいところ邪魔しやがって、絶対許さねえからな!!」
「え、えと……エッジ?」
「ひとが苦労して作り上げた雰囲気を一瞬でぶち壊しやがって!もう少し空気読んで仕掛け花火で燻ってろよ!!」
ああああとなにやら喚いて、エッジはがしがしと頭をかきむしっている。ぽかんと立ち尽くすわたしは完全に置いてけぼりだ。
……まあ、つまりエッジの話から察するに、やはり花火大会が終わったのではなく、仕掛け花火が披露されていたのでしばらく静かな時間が続ていたということなのだろう。わたしときたらエッジに夢中で、地上の花火に気づかなかったらしい。
……なあんだ。
残念なような、ほっとしたような。
手すりにもたれてうなだれるエッジの背中に、思わず笑ってしまった。
「……笑い事じゃねえっての」
じろりとわたしを振り返ったエッジの頬が赤いように見えたのは気のせいだろうか。
くすくす笑いながら隣に並ぶと、はあとエッジはため息を漏らしふてくされたように頬杖をついた。
「あー恥ずかし」
「そんなことないよ。花火、きれいだねえ」
「……んなもんどーだっていいよ。もっときれいなもんゲットしたから」
「えっ、なになに?見せてよぅ!」
「見せてやんない」
すました横顔にエッジのいじわると頬をふくらませると、ようやく白い歯を見せてくれた。
ああ、いつものエッジの顔だ。先ほどまで今まで見せたことのない顔の連続だったので、正直なところほっとした。
そんなことを言ったりしたら、またお子様とバカにされてしまうに違いないけれど……。
夜空には次々と大玉の花火が打ちあがっている。きっともうフィナーレが近いのだろう。
「花火が終わっちゃうのって、寂しいねえ」
「そう?」
エッジは頬杖のままわたしを見ると、首を傾げた。
「別に、また来年も見られるからいいだろ?」
「え……?」
またダムシアンの花火を見に来ようということなんだろうか?
きょとんとしたわたしの頭をぽんぽんと叩いてにこりと笑ってみせる。
「だからさ、エブラーナで見りゃいいじゃん。うん。来年と言わず再来年も、4年後も……なんならその先もずーっと、一緒に見てほしいんだよな。花火だけじゃなく桜に紅葉、冬の雪景色とか――ウチの色んな風景を、俺と一緒に」
いいかな、と。
彼はそっと笑った。けれどいつもよりもずっとぎこちないその笑顔が、これは本気だと伝えている。そのくらい、わたしにだって分かる。
……エブラーナのいろいろな風景を、エッジと一緒に。
信じられないけれど、本当にあなたは――わたしと。
見開いた目に、一度はひっこんだはずの涙がみるみるうちに盛り上がってくる。こらえきれずに唇をかみしめ瞬きをしたら、大粒の涙がぽろりとこぼれた。
そんなわたしを、エッジは優しい目をして、けれどやっぱりどこか不安そうな様子で見守っている。
――ああ、早く安心させてあげなくちゃ。
流れ落ちる涙はそのままに、わたしは大きく「うん」と頷くと、にっこり笑って見せた。
「わたしも、ずっとずっと……エッジと一緒に居たいな!」
「――よかった」
ほっとした表情のエッジと目を合わせて一緒に笑いあうと、心が温かいものでいっぱいになった。大切な思いがどんどん増えていく。エッジのことが、もっともっと好きになってゆく。
きっとこの先つらいことも悲しいこともたくさん待ち受けているに違いないけれど、エッジと一緒なら何にも怖くない。
そう信じられる人と共に生きられるわたしは、なんて幸せ者なんだろう……。
頬を伝う幾筋もの涙をぬぐおうとして、手をあげて。
「……あれ?」
思わずそうつぶやいたのは、その手首をするりと掴まれてしまったからだ。
目を丸くするわたしに素早くエッジが顔を寄せる。
……そして。
「スキあり」
いたずらっぽい目をしてそう囁いたと思ったら。
――次の瞬間夜空いっぱいに開いたこの夏最後の特大の花が、重なったふたつの影を、きれいに映し出していた。




<END>

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300点満点はなまるっ最高です(☍﹏⁰)ℒฺℴฺνℯฺ
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プロフィール

みずたま

Author:みずたま
1980年代生まれ。
aiko、spitz、ケーキ、お買いもの、野球(中日!!)、そしてFF4のエッジとリディアをこよなく愛しています☆
7歳と4歳の娘に振り回される日々を過ごしていますー。

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